kaleidoscope world ver.3.0.4

#06: round and round

 kaleidoscope corporation 1994


とぼける程色のついた地平線、理論より眠り誘い揺らぐ
微かにたなびく白いカーテン、洒落た木枠から待望の来訪者
カボチャ畑に足を投げ出して、丸い地球の一部になろう
飛び立つ渡り鳥達と共に、重なり合った季節よ感謝、感謝

 草原で聞こえそうなパノラマの虫の囁き
プラネタリウムの星々、光を越えて白夜の街
とどけ! 目を覚まし、現実を越え

いつからか無くした僕等のコー・イ・ヌール
変わっていく僕等を許して
落ち込んで通り雨のブルー、忘れ去られたホープ
あの日逃げたパレード、ずっと廻り続ける round and round ・・・

とっておきの星さえも、街がてらし消えていく
”流されてなるものか”と、音楽とシルクハットをのせた少年達
限りなく低い振り上げた腕で・・・

枯葉を踏み歩くのはチャペルより至福の音色さ
例えばセンチの万華鏡、琥珀の絵の具こぼした
草原で聞こえそうなパノラマの虫の囁き
閉ざされた星空よ、ほら! 光を越えて白夜の街
とどけ! 目を覚まし、現実を越え

いつからか無くした僕等のコー・イ・ヌール
変わっていく僕等を許して
落ち込んで通り雨のブルー、忘れ去られたホープ
あの日逃げたパレード、ずっと廻り続ける

やすらぎや漆黒てらす光の尊さ
思い出せカレイドスコープ、少年のアングル
いつかきっと帰るべき全て望む丘の上まで
イノセントパレード、ずっと廻り続ける
いつかきっと帰るべき全て望む丘の上まで
イノセントパレード、ずっと見守っていてね round and round ・・・


●song written arranged and performed by kaleidoscope corporation




linernotes of kaleido 2003



心地よいテンポに、大人になるにつれて失ってしまった大切なものの事を忘れないで、というメッセージを込めて作った楽曲。
僕は、元々このようなメッセージ性を持った楽曲を作ることにこそ意義を感じていたので、今でもとても好きな楽曲だ。
余談だが、20代半ばで初めて「ニューシネマパラダイス」という映画を見た時、少年の頃と、社会に出る直前と、そして30歳になった頃と見てみたかったと思った。
と言うのは、それぞれで感じることが大きく違い、その違いから自分が得たモノ・失ったモノを明確に知らしめられることになるだろう、と思ったからだ。
この曲もそのような効果のある曲にしたい、と思った。
僕はモラトリアムではないので、大人になることを否定したりしないし、大人になることで失うモノがあるのは仕様がない事だと思ってはいるが、この詞で僕が言いたかったのは「失ってしまったことを忘れてはいけないよ」という事。
僕らがとっくに亡くしてしまったイノセントを取り戻すことなど不可能だが、自分もイノセントであった事を忘れずにいれば、間接的にそのイノセントが自分を導き、諭し、戒めてくれる。
それは、大人になっても汚れずにいられるかもしれない可能性じゃないだろうか、というメッセージを込めたつもりだ。
ちなみに、詞中にある「コー・イ・ヌール」とは「光の山」という意味の巨大なダイヤモンドの名で、「ホープ」とは希望という意味と「ホープ・ブリュー・ダイヤモンド」という巨大なブルーダイヤモンドの名。どちらも貴重な輝きを意味しているつもりだ。